











〒470-2101
愛知県知多郡東浦町
大字森岡字飯喰場7−53
TEL 0562−82−2223
FAX 0562−82−2220
pride-yk@ma.medias.ne.jp |
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愛知県知多郡に次男として生まれる。
祖父が創業した綿織布業は一時期「バッタンコ景気」で華やかであったが、綿織布業がアジア諸国にシフトし没落廃業を余儀なくされる。
そして婿養子の父はあてがはずれ、そのころから酒に溺れるようになる。 |
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中学二年生の時、近所の子供たちを集めて花火をしている時に、マッチの大箱に花火の火が引火、消火に挑むも手に大やけどをおう。
病院での治療に感動し医者になることを決意し、オール3から勉強をし始める。 |
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高校3年の進路指導で「バカの壁」に激突し医学部を断念。
家庭が貧しいため学費が安く家から通える学校を選択。 |
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名古屋大学工学部機械科に入学
大学生の時にたまたま知人の見舞に訪れた病院で20歳前後の女の子たちが人工透析のために入院し続けなければならない、という事実を知る。
「家庭に人工透析機があれば家庭生活もできるのに…」と世間の大人たちの不情に憤りをおぼえる。
その人工透析機が非常に高価であり一般家庭ではなかなか購入することができないと知り、「金儲けは幸せのための重要な前提」と強く認識する。 |
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名古屋大学工学部機械工学科卒業
大手自動車部品メーカーに入社生産技術部で工程設計に従事(切削加工ライン・組み付けラインの立ち上げを通じて量産ラインのノウハウを習得) |
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シャバ世界で実力をためしてみたいという衝動にかられ31歳の時に円満退社する。所属職場の送別会席上で、
「只今よりシャバにでます。生産技術部にて培った力で汚れた金をきれいな金にしてみせます。」と若気の至りで思い切った挨拶をする。

独立に向けて研磨修行のため、2年間、職人気質で有名な親方一人の研磨屋さんにとびこみ修業させてもらい、零細企業で働く従業員の苦しい状況を身をもって体験する。

※扇風機はないので夏は工場内40度をこえる日が続く。
※毎日タオル二枚をもっていくが帰りには汗で重たくなっている。
※全身あせもになり身体がほてり、この当時住んでいた知立団地のベランダにて眠れぬ夜をすごす。
※この工場の暖房設備は極寒でもなんとストーブ一台きり。それも芯は半分しか赤くならない古びた家庭用のストーブ。作業場所を移すたびにストーブごと移動していた。ゆえに当然メチャクチャ寒い。しかたがないので厚着をする。ラクダのモモヒキ二枚・靴下二枚・防寒肌着二枚とポロシャツ・トレーナー・作業着・・まさに冬山登山並みの重装備である。
※集塵装置がないこの工場でさんざん粉塵を吸ってしまい、数十年経った今でもレントゲン写真の右肺からは影が消えない。
※親方が帰ったあとは身体でおぼえるグラインダー作業にはげみ、帰宅し毎夜、覚えた技術をノートにまとめる。 |
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(有)神谷精工を設立 。
二年間の修業をおえ33歳のときに父親の工場内の一角10坪を月5万円の家賃で間借りする。父親の工場内と言っても父親の土地ではなく、借地。身内からの資金援助は一切ない。
総資産300万円、立ち上がり資金600万円、足りない金は銀行借入する。機械一台で創業!

電話帳で調べ飛び込み営業するが中々まともに相手にされず、イヌコロのような扱いをうける。
実例:エンドミルの再研磨を回収に行った先で、工具担当者からコンクリートの床の上に一本づつエンドミルを投げつけられ、それを拾い集めていた。その担当者の名前は今でも忘れはしない・・・
そんな屈辱的行為にも負けず、昼中は営業にとびまわり、やっともらった僅かな仕事を夕方からおこなう。

明日の朝から仕事がない日が続く。生も根も尽き果てるがここで負けるわけには行かない。近くのお寺の庭石に朝から座り、暗中模索・七転八倒する。
ままよと、サラリーマン時代の常務さんのご自宅にうかがい、「○○会社に入っているという御旗をお借りしたい。工機の売り上げは月2万円程度になると思います」常務さん曰く「わかった!」の一言。その夜感涙した。
万策尽き、サラリーマン時代の○○会社の初代工場長のご自宅にアポイントもとらずにうかがう。
工場長いわく「松下幸之助はペコペコ頭を下げていたわけではない。良い商品ができましたので宜しくお願いしますと宣伝の時に頭を下げていたぐらいだ・・・云々」と長時間にわたってお叱りをうける。
おいとましようとすると、「ところで俺は何をやればいいのかね?」と言ってくださった。
「△△会社の工機工場を紹介してください」とお願いしたところ、二つ返事で「明日やっておく」と一言。この御恩は終生忘れない!

取引先も増えてガムシャラに仕事をやる。
トイレの時間も短縮するため、手を洗う時間を省いたためパンツは研磨粉でいつも汚れていた。
配達・研磨・梱包・伝票・納品・営業等で毎日帰宅は10時前後、日曜日の午前中は砥石交換と掃除をやり、昼からはただ寝るという繰り返し。
創業当時(移転前)の神谷精工内は父親の綿織布工場敷地内にあり地盤が低かったため、大雨時雨水が工場内を川のごとく流れた。深夜材料が雨水につからないよう棚に上げる事度々。

過労で胃の調子をこわしフラフラになりながら病院にいく。
医者は問診するまでもなく一瞥しただけで栄養失調と診断。「検査する前に直ちに点滴。そして毎日血管注射をするので通院しなさい。」と。半年でこのざまか?シャバで生きることは並大抵なことではないと点滴を打つ間、仰ぎ見た天上を見ながら痛感。 |
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創業二年目に入り徐々に従業員を採用してきたが、予想をこえたサマザマな能力・社会性の持ち主の人が入社。

以下袖振れ合った人々
※仕事中に立ったまま寝ている。
※全数不良になったのは徹夜マージャンをやっていたので。
※答えが二桁になる足し算ができない人
※通勤距離を二倍に申請してくる人
※履歴書の学歴・職歴が事実に反する人
※二週間平気で無届欠勤し、心配になって見に行ってみれば、犬の散歩をしている人
※辞めた勤務先に窃盗に入る人
※会社の金を横領する人
※不良対策書を書かせたら翌日辞めた人
※仕事の割り振りが気に入らなくて昼飯を食べて帰宅した人

競合他社においても社員のレベルにおいては大きな差はない。「儲けている会社と儲けていない会社の差はなにか?」そこに儲けのメカニズムが必ずある、と気づく。
キーワードは人である、と直感。人を知る=心理学の本を読みあさる。 |
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「人の能力をいかにしたら発揮させられるのか?」の試行錯誤をかさねた結果、儲けるための最高機密「プライド理論」を発案する。
七年間の試行錯誤の末に心理学を活用した独自の経営手法は、法人所得番付に載るという結果となった。 |
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創業7年目にしてプライド理論を確立する。

※社長(神谷泰久泰久)の年収は6000万円となる。
※役員報酬を含めた実質的経常利益率は50%以上を維持している。
※従業員一人当たりの経常利益は1500万円以上を維持している。
※従業員の年収は大手企業を下回ってはいない。 |
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大手企業(東証一部上場)に 2000 年 12 月13日( 50 歳の誕生日)に売却する。

※継承問題(長男との年齢差)を解決するため
※社長としての日常の仕事がなくなってしまったため
※結果として一生遊んで暮らせる十ケタの現金を手に入れる。
※売却先の大手企業から31歳の若手幹部候補生がCOOとして赴任しても経常利益は低落していない。 |
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| 自身の経験とその中で培った知恵を次世代に残すべく、実戦経営コンサルタント事務所『プライド』設立 |
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経営大全「差が儲けである」自費出版、発売三ヶ月間で3000冊販売(現在 1600 社が社内改革に採用中) |
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日刊工業新聞社より「儲けるメカニズム―即実践できる経営の極意 172 」刊行。 |
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